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     2007年1月14日〜16日  故郷 身延山〜下部温泉  
1月14日 中央高速お墓参り〜身延山下部下部ホテル 1月15日 下部ホテル 1月16日 下部〜
2007.1.14
出発
中央高速道路
山梨県南巨摩郡富士川町
身延山
下部温泉

K&MSecond Life

母校!(旧舂米学校校舎)現.増穂小学校

旧舂米校舎は現在は資料館

AM7:00出発。娘が運転してくれるので後座席でK&M二人のんびり。
中央高速を走り山梨・兄の住む実家に9:30到着。
病気がちの兄は現在火・木・土の午前中人工透析を受ける苦しい日々を送っている。若い頃から病気の連続でよく今まで生きてきたと感心するほどだ。透析を繰り返している腕は血管が浮き出し どす黒くなって見るに耐えない。しかし精一杯明るく振舞っていて胸が痛む。しばら世間話をして、お墓参りに向かう。


昭和27年.K小学校入学。 
 
明治21年の舂米学校校舎(増穂町尋常小学校)。大正10年に新しい校舎が完成、建物は昭和49年まで役場として利用された。

今の増穂小学校

兄の家を出て50年以上も前K&Mがそれぞれ卒業した小学校を訪ねる。
小学校も遠い遠い昔で思い出は記憶の中でセピア色に変わっている。



葛飾北斎「富嶽三十六景」甲州石班沢(鰍沢)

甲州石班澤(こうしゅうかじかざわ=(山梨県富士川町鰍沢)は、葛飾北斎の浮世絵風景画『富嶽三十六景』のうちの一枚。「石班澤」を「かじかざわ」と読むのは、カジカと(石斑魚(ウグイ)を混同した誤記と考えられている。江戸時代後期の浮世絵師葛飾北斎による富士山を描いた富士図の連作で、天保2年(1831年)から天保4年(1833年)頃にかけて刊行された。全36図、追加10図のうち甲斐国の裏富士を描いた「甲州石班澤」では甲府盆地の釜無,笛吹両川が合流し富士川となる鰍沢(山梨県富士川町)が描かれている。鰍沢は富士川舟運の拠点で、兎の瀬と呼ばれる難所。

初代三遊亭円朝
Mの故郷鰍沢は、葛飾北斎「富嶽三十六景」にも描かれたり、落語「鰍沢」にも登場する歴史ある町というのがMの自慢。落語「鰍沢」は初代三遊亭円朝の演目で、円朝は幕末から明治に活躍し。江戸の落語.三遊派の大名跡で、三遊派の総帥.宗家。三遊派のみならず落語中興の祖。

富士川町 Mの母校 鰍沢(かじかざわ)小・中学校 
昭和29年.M鰍沢小学校入学


お墓参の順番はいつもの通り、Mの実家近くのお墓から。いつも最初にお参りする、次にM姉のお墓は一番山深いお寺で冬は雪や凍結で上るのが困難なほど山の上にある。そして最後はKの実家のお墓へ。今日は三ケ所お参りして身延山むかう。


日蓮上人

身延山には信心深いMの母が分骨されている。
身延山は700年以上前、日蓮上人によって開かれた日蓮宗の総本山で、日蓮の遺骨が納められている。身延へは子供の頃から何度も来ているので懐かしい、門前にはMの親戚の松井坊がある。


商店街一番奥の町営駐車場に車をおいて山門から本堂まで287段の石段をあがる。
県立身延高校の野球部はこの石段を上り下りして冬季練習をしていたのを聞いたことがある。今は使わせてもらえてるかどうかわからないが、当時はなかなかいい練習場所にみえる。




身延山の参拝のあと、お昼は下部温泉にある「青木食堂」で。
ここは夜はスナックになり昼は食堂で、ずいぶん前に来た時郵便配達の人に聞いてから下部に来るたび寄るようになった。



店はこじんまりしているが お酒も料理もなかなか本格的で美味しい。


下部・青木食堂 自慢の手打ちうどんと宮崎地鶏、天丼など



































































下部ホテル

2007年1月15日
下部温泉
朝食後娘たちは何処かに出かける。
ほとんどの宿泊者がいなくなって静かな館内で朝風呂にゆっくり入ったり新聞を読んだりしていると、娘達が昼頃鰍沢町の「国本屋」で『うなぎ』を焼いてもらい帰ってくる。
お昼はうなぎと昨日買った湯葉で豪華なお昼ご飯。


鰍沢・国本屋のうなぎ


下部温泉・下部ホテル

午後から持参してきた商品券を賞品にしてトランプをする。10回勝負だったが、かけたゲームだとMが断然強く一人勝ち。


下部温泉・下部ホテル

一階ロビー奥の足湯では飲み物サービスもありゆっくり読書なども出来る。


夕食は昨日と同じお食事処でかまど料理+おばんざい料理。

下部ホテル/かまど料理+おばんざい料理

夜8時からは下部ホテル恒例の夜の太鼓と餅つきが始まり搗き立てもちはきな粉やおろし大根で振舞われる。


太鼓ショーは従業員総出でなかなか訓練されいてプロ並の腕前。



下部の湯は信玄の隠し湯と知られ石原裕次郎もスキーで骨折の際は1ヶ月も滞在して療養した甲州一の名湯だけありぬめりのあるお湯は傷や痛みに効きそうな気がする。
昔法政二高時代野球で捻挫した時、母が下部の湯を一升瓶に2本東京まで持ってきてくれたことがある。その時は駅に母を迎えに行くと、リウマチで患っている両手に、下部の湯の一升瓶詰めを2本下げ、風呂敷を首にくくりつけホームに降り立った母の姿が、いまも鮮明に思い出される。


下部温泉・下部ホテル

2007年1月15日
下部温泉
本栖湖
河口湖
帰る

K&MSecond Life
下部ホテル一階レストランで朝食、チェックアウト。
帰りは富士山を見ながら本栖湖。
五千円/千円札画像に使われた本栖湖展望台
本栖湖〜河口湖インターで中央高速に入り帰る。

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